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印象派

印象派(いんしょうは、仏:Impressionnistes)または印象主義(いんしょうしゅぎ、仏:Impressionnisme)は、19世紀後半のフランスに発し、ヨーロッパやアメリカのみならず日本にまで波及した美術及び芸術の一大運動である。1874年にパリで行われたグループ展を契機に、多くの画家がこれに賛同して広まった。また、「印象派」・「印象主義」の概念は、音楽の世界にも適用される。

印象派とは、ヨーロッパの絵画界を中心とした大きな芸術運動である。19世紀末から20世紀初頭にかけて発生した。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられている。その後の芸術全般に大きな影響を与えている。

印象派の絵画はそれまでの写実主義の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性に乏しい。写実性に乏しいとは言うものの、抽象画と違って、何が書いてあるか分からないという程ではない。それまでの写実主義の絵画と違い、色彩の鮮やかな作品が多く、人気の理由の一つになっている。

印象派の絵画は、現代でも最も人気の高い芸術ジャンルのひとつで、その作品は極めて高値で取引されることがある。

歴史
時代背景 [編集]
肖像画と写実主義

19世紀頃のヨーロッパでは肖像画を描くことが一つのステータシーであった。肖像画では、対象を正確に描写することが重要で、遠近法などの技法が工夫された。肖像画は大きな需要があったため産業として確立し、学校も多く設立され、技術さえ学べればそこそこの絵が描けるようになっていた。肖像画と言っても顔だけではなく、服装や背景の調度品なども、対象人物の地位を表すものとして重要だった。そのため、それらの物を正確に描く技術も発達した。これらの人物や物を正確に描く絵画のことを写実主義という。

絵具の発達

肖像画が産業として確立するにつれ、画材道具が改良されていった。特に1840年に発明されたチューブ入り絵具によって、画家たちは絵具を作成する作業から解放された。絵具の作成は画家にとって重要な技術の一つであり、その技術は画家の個性の一つであった。良い画家とは、良い絵具を作る職人でもあったわけである。ところが、絵具がチューブに入れられて販売されるようになり、この点で画家の技量の差が出にくくなった。誰でもきれいな色を表現できるようになったのである。画家の没個性化が進むこととなった。

バルビゾン派

画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になった。しかし屋外は部屋の中と違って、日差しが刻々と傾き、天候が変化したりするので、室内のように同じ条件下でゆっくり絵を描くというわけには行かない。細部を省略し、すばやく絵を描く技法が生まれた。この頃の屋外を多く書いた画家たちはバルビゾン派などと呼ばれる。

写真の発明

絵具が発達し、絵画の教育システムが確立し、絵画が産業化していく一方で、1827年に写真が発明される。写真は瞬く間に改良されて、肖像写真として利用されるようになる。 正確に描写するだけなら、絵画より写真の方がはるかに正確で安価で納期が早い。写真が普及し始めると画家たちが職にあぶれるようになった。 また、瞬間をとらえた写真の映像は、当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与えることになった。

第1回印象派展 [編集]
エドゥアール・マネ

1860年代、エドゥアール・マネが一般の女性をそのまま裸婦として描いた作品を発表した。当時の裸婦像は神話や聖書のエピソードとして描くのが普通で、マネの裸婦の絵画は激しい反発を受ける。ところが、当時アカデミズムと呼ばれる主流派に対して反感を持つ若い芸術家が多く、マネに同調する芸術家が少なくなかった。マネに同調する芸術家たちはパリのカフェに集まり、前衛的な芸術論を語り始めるようになった。

ジャポニズム

多くの画家が表現方法を模索する中、1867年パリ万国博覧会が行われる。これには日本の幕府、薩摩藩、佐賀藩が万博に出展し、日本の工芸品の珍奇な表現方法が大いに人気を集めた。次の1878年のパリ万博のときには既にジャポニズムは一大ムーブメントになっていた。日本画の自由な平面構成による空間表現や、浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならない、とする制約から画家たちを開放させる大きな後押しとなった。

第1回印象派展の開催

1874年にモネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ピサロ、モリゾ、ギヨマン、シスレーらが私的に開催した展示会は、後に第1回印象派展と呼ばれるようになる。当時この展示会は社会に全く受け入れられず、印象派の名前はこのときモネが発表した『印象、日の出(Impression, soleil levant)』から、新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたものである。このときを印象派の成立としているが、これ以前にもウィリアム・ターナー(イギリス)の様に印象派に通じる画風や、バルビゾン派など屋外の風景を多く描いた印象派前夜と呼び得る画家達も存在している。また、後にはスーラ、ゴッホ、ポール・ゴーギャンなどのポスト印象派、新印象派へと続くものとなった。

なお、マネは印象派展には参加していない。

写真の発明による肖像画産業の低迷と、「見た感じ」の面白さに気付いたヨーロッパの画家たちは、写実主義から離脱し、絵画独特の表現方法を探索し始めた。 そのような中で、細部やタッチにこだわらず、新たな空間表現と明るい色使いを多用した印象主義が発生した。

それまで、どちらかと言えば暗く重苦しい絵画が多かったヨーロッパで、明るい印象派の絵画は主流と言えるほどに流行った。この運動以降の絵画は写実主義から開放され、芸術性やメッセージ性のより強いものに変化し、キュビズムやシュールレアリスムなどのヨーロッパにおけるさまざまな芸術運動が生まれる契機となった。

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2009年04月10日 12:59に投稿されたエントリーのページです。

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